経験と基準
今までの経験から、状況を判断することって日常に多くあります。
恋愛に関しても、それは例外ではないようです。
わたしにとっての恋愛というのは、これが初めてになりますので比較対象がありません。
ですが、恋人さんにとってはそうではありませんでした。
「わたし」を取り除いた本当のわたしは、寂しがり屋で構ってほしがりでもあるようだとぼんやり自覚しつつありました。
ただ、まだそれをうまく表現できずにいて、その気持ちを持て余してもいました。
忙しい
体調が悪い
恋人さんがそういう状態の時、頻繁に話しかけたり構われたいと思うことが良くないことだと思っていました。
でも恋人さんにとっては違っていて、「忙しいから連絡するなとは一言も言っていない」「寂しいなら寂しいと素直に伝えること」「構ってほしいと伝えることは悪いことではない」と教えてくれました。
そして「頻繁に話しかけてこないってことは、その時間に僕は必要ないってことでしょ?」「あの子はこういう時絶対一緒に居たがった」とも言われてしまいました。
必要がないから話しかけない
話しかけないなら、構ってほしい状態ではない
ということになってしまうらしい。
ついでに、何をするにも一緒に居て一緒のことをしたがる子が居たことも。
少し話を聞くだけで、寂しがりだったり構ってほしがる子の基準が「その子」になっていることがわかりました。
わたしは比較されるのが好きではありません。
わたしはわたし、他人は他人だからと思っているからです。
このひとはこう感じる。
でも同じ事をこのひとはこう感じる。
そんな風に、こういう時こうするという判断も基準も人それぞれだと思うのです。
「その子」の基準で判断されていたわたしは、「寂しいと感じていると後から言うけど、実際にその時に言ってこないし頼ってこないし一緒に居たがろうとしない子」という認識になっていたようでしたので、そんなの全く違う!と猛抗議しておきました。
どうにも、今までの恋愛は好きを強く押す子が多かったと恋人さんが語っていました。
それに対して、「君は本当に僕を好きなの?」とも。
毎日言葉で「好き」と伝えていても、全く伝わっていなかったようです。
恋人さんは「好きなら言葉だけではなく行動で示すものだ」という認識だったからです。
今までしたこともない恋愛は強敵です。
たぶん、こういった認識のすれ違いを重ねていくことで、世の中のカップルはお別れになってしまうんだろうなと感じました。
なのでわたしは、毎日いっぱい会話することにしました。
少しでもわたしを知ってほしいし、恋人さんのこともいっぱい知りたい。
どういう時に怒るのか、泣くのか、嬉しいのか、喜ぶのか……
片っ端から、全部知りたくて、でも全部なんてどう聞けばいいのかもわかりません。
それでも色んな話をして、毎日少しずつでも、些細でもいいから知りたい。
こうして、認識がすれ違ったらわかるまで話をする。というわたしたちのスタンスが出来上がりました。
たまにわたしも、恋人さんも、一人で突っ走った考えで暴走しちゃうこともあるけれど、会話って大切だなとわたしは思います。
ということで、経験と基準、という話でした。